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2008 年度前半の主なプロジェクトの活動( 4 〜 9 月)
4 月
9 日 昨年度、供与機材の納入が遅れたことから円高差益が生じ、その予算で地方獣医事務所用にいくつかの機材を購入した。そのうちのひとつであるオートクレーブをキボガ獣医事務所に搬送。またそのついでに明日の研修用サンプルとして、山羊および牛それぞれ 5 頭ずつから血液と糞便を採取させてもらった。
10 日 ムピジ獣医事務所に作った簡易ラボで、隊員 4 名と血液検査および糞便検査の実習を行った。当日の朝はひどい雨で、予定していたブワマ・サブカウンティーの二人がムピジ・タウンまで来られなかった。
14~15 日
マッドゥの牧場で。左から牧場主、増井隊員、カバンダ (ムピジ獣医事務所獣医師)、カフルマ (マッドゥ・サブカウンティー開業獣医師)。
ムピジ獣医事務所では簡易ラボが完成し、ようやく疾病調査が実施できるようになった。ムピジは県西部で牛の飼養が盛んであるが、タウンよりかなり距離があるため、2 泊 3 日のサンプリングを 3 回実施することにした。既に 3 月に最初のサンプリングを終え、今回は 2 度目。筆者も前半の 1 泊 2 日だけ参加した。同じく西部のキボガやキルフラよりも若干小さめの牧場が多いのか、それともあまり儲かっていないのか、クラッシャーを備えている牧場が少なく、サンプリングにかなりの時間がかかった。---> 詳細を読む
18~19 日 獣医事務所の改修を進めるため、予算を携えて東部へ出張。ムバレ獣医事務所では窓枠の修理が終わり、これから事務所全体の塗り替えに取りかかる。クミ獣医事務所では電気配線のコード自体が規格に合わないものらしく (安くすませるために質の悪い電線を使ったらしく、そのせいで冷蔵庫さえ使用できない)、事務所全体の電線を取り替える工事をすることにした。
      出張の帰りにジンジャにより、小田島隊員 (野球) の任地を訪問。小田島さんのウガンダでの活動の様子は北海道放送がドキュメンタリー番組にまとめ、日本で放送された。その彼の教え子達を日本へ呼ぼうと北海道の会社の社長さん達が後援会を作って資金を集め、実際、今年初めにウガンダ人の子供達と小田島さんは北海道を親善訪問し、札幌ドームで日本の中学生チームと野球の試合をしている。そんな彼の教え子のひとりが家庭の経済的な事情から学校をやめざるを得なくなり、見るに見かねた小田島さんが日本の支援者達に相談したところ、養豚をさせたらいいのではないかという話になったそうである。後援者の中に日本ハムの偉い方がいらして、そのウガンダ人の男の子 (といっても 20 才らしい) を日本で研修させる段取りを既に始めているとのこと。そういった経緯から、ウガンダにおける養豚事情を知りたいとの申し出を受け、今回のジンジャ訪問となった。
24 日 ウガンダ JICA 事務所では、坪井専門家が中心となって陸稲であるネリカ (New Rice for Africa) 米の普及を進めている。その普及の一部を協力隊員にも担ってもらおうと、定期的にネリカ研修を実施している。そして今般、ご飯だけではなくおかずの研修も組み合わせようという坪井専門家の発案に事務所が乗る形で、あっさりと隊員向け畜産研修を開催することが決まってしまった。
      10 人以下に抑えて欲しいとの要望を事務所に上げていたのであるが、結局参加者は村落開発の隊員を中心にして 14 人に膨らんでしまった。一日だけの研修ということで養鶏と養豚に絞り、かつ養鶏の飼養管理についての発表は、こちらで養鶏を普及する NGO に配属されている松井隊員にお願いした。
      当日の朝はひどい雨降り、このところついていない。開始直前、停電になるというハプニングもあったが、その停電もジェネレーターの準備中には回復し、まずまずのスタートとなった。松井隊員の発表は現地の状況に根ざしており、情報も豊富で、参加者は皆熱心に聞き入っていた。その後に発表する自分の話の内容を考えると、そのお粗末さに恥じ入る気分になった。筆者は松井隊員の後を受けて鶏の疾病、豚の飼養管理、豚の疾病についてのプレゼンを行い、午前中を終了。皆で近くのレストランへ出かけ、シズラーを食べる。
      午後は実習。本来であれば牧場にでも出かけて実際に鶏や豚の飼育法を経験するのが一番なのであろうが、エンテベ近辺でそのような農家を見つけるのは難しいこともあり、ラボにおける実習を行った。まず二人ひと組になって鶏を解剖して各器官の観察をしてもらい、その後で鶏の血液を材料に血液検査を実施。実際の活動には役立たないであろうが、各隊員共々、解剖にも血液検査にも熱心に取り組んでいた。

鶏の解剖

血液検査
5 月
5~6 日       柏崎長期専門家、東部へ出張し、ムバレおよびクミ獣医事務所において事務所改修工事にかかる費用の支払いを済ませた。また、この出張に際して再びジンジャに寄り、小田島協力隊員と選手 2 名 (アーロンおよびエンマ) と共にジンジャ獣医事務所を訪問。Dr. カサダに養豚についての話を聞く。その後、畜産スタッフのひとりにお願いし、養豚を営む農家を 2 ヶ所訪問した。特に 2 軒目の農家は繁殖豚 25 頭を擁し、マネジメントもかなりうまくやっているように見受けられた。小田島さんの教育の賜か、アーロンとエンマはかなり養豚についての知識を蓄えており、訪問した獣医事務所や農家でも色々と実務的な質問をしていた。
      カンパラへの帰路、ジンジャ近郊の学校に配属されている河地隊員から電話があったのであるが、筆者はそれに気づかなかった。後で聞いたところによると、赴任先の小学校で飼っている豚が子供を生んだのだが、そのうちの数頭が既に死亡し、残りの子豚も乳を飲んでいないとのことであった。河地隊員は筆者と連絡が取れなかったためにジンジャの獣医事務所に連絡を取り、獣医に来てもらったという。子豚が死亡したのはよくある圧死だったらしく、乳を飲んでいないのは母豚が乳を出していないかららしい。どうもマネジメントが全くできていないようだ。学校のスタッフは皆、養豚に関しては素人らしい。近いうちに様子を見に足を運ぶことになった。
9~23 日 協力隊短期隊員の募集期間。5 ヶ所の獣医事務所にひとりずつ、計 5 名を募集。7 月から 9 月にかけて活動予定。
13 日 先週の約束通り河地隊員の任地である小学校を訪問した。この小学校では孤児を引き取って育てており、その数は 20 名以上に上っている。資金源は主に養鶏 (ブロイラー) であり、約 1000 羽の雛を定期的に購入して 6 週間育て、出荷しているという。乳牛も数頭飼育されていた。問題は初めたばかりの養豚であり、豚舎などを見せていただき色々と助言を行った。ちょうど前の晩、隊員星空クラブの面々が望遠鏡を持ち込み、月の観察会を開いたという。
16 日 ラボの所長 Dr. アデムンが企画し、プロジェクトの運営に係るミーティングを農業省にて実施した。当初、事務次官や局長クラスも出席する予定であったが予定通りに事が運ばず、フタを開けてみればエンテベ・ラボのスタッフと専門家二名、マケレレ大学獣医学部副学部長の Dr. ムワジ、それにアシスタント・コミッショナーが加わり、こぢんまりとした会議になった。基本的には過去 1 年間の活動報告と問題点の洗い出しという内容であった。ウガンダ側は未だに JICA の協力のやり方 (技術移転が基本であり、予算は日本側が管理する) に慣れていないようで、それに対する不満は消えていない。また、日本側とウガンダ側、またウガンダ側内部におけるコミュニケーション不足なども指摘された。意思の疎通を積極的に図らず、各人が勝手に物事を進めるという状況をウガンダではよく目にする。
22 日 ムピジ県マッドゥ・サブカウンティーを日帰り訪問。これまでの調査で結核の陽性牛が複数頭見つかった農場が二つほどあり、その二ヶ所で再検査を実施することにしたためである。今回、ムピジ事務所からはムソケと増井さん、マッドゥの獣医カフルマ、それに多田専門員と筆者が加わり、日本人の方が多いチームとなった。1 軒目の農家では予定通りツベルクリン液の接種を済ませたが、2 軒目の農家でご主人の理解を得られず、再検査を断念した。---> 詳細を読む
24~30 日 柏崎長期専門家、タイのバンコクへ任国外旅行。ウイルス分離用の細胞と診断製剤用のブルセラ菌株を持ち帰った。
6 月
5~6 日 3 月に始めたキルフラ県カゾ獣医センターの改修がようやく終わり、その支払いを済ませるため久しぶりに西部へ出かけることになった。そのついでといっては何だが、ブシェニ県 (Bushenyi) のカボヘ (Kabwohe) という町で働く協力隊村落隊員、兼光くんが住む学校と、キルフラ県サンガにある誰も使っていない獣医センターの状態を見てくることにした。---> 詳細を読む
12 日 柏崎長期専門家、東部へ日帰り出張し、ムバレ獣医事務所において事務所改修工事にかかる費用の支払いを済ませた。ムバレ事務所では、外壁、内部、屋根、と、全ての塗り替えが終了し、かつては暗い雰囲気を醸し出していた建物が、明るい光に満ちた事務所に生まれ変わった。これでラボでの仕事も活性化されれば申し分ないのであるが、それには今しばらく時間がかかることであろう。
25 日 エンテベからの帰路、ムピジへ向かい、獣医事務所を訪問。Dr. セキウンガおよびカバンダに会い、7 月 9 日に決まったプロジェクト運営会議および協力隊短期隊員の活動内容について打ち合わせを行った。
27 日 カンパラの獣医事務所においてキルフラの DVO である Dr. ムギシャと会い、カゾおよびサンガ獣医センターの改修 (電気関連) について相談。加えてプロジェクト運営会議への出席を依頼した。
30 日 柏崎長期専門家、再び東部へ日帰り出張し、ムバレおよびクミ獣医事務所において協力隊短期隊員の活動内容についての打ち合わせを行い、プロジェクト運営会議への出席を依頼した。またムバレの事務所へはインキュベーター、オートクレーブ、顕微鏡を供与した。
7 月
1 日 キボガ獣医事務所へ日帰り出張し、協力隊短期隊員の活動内容についての打ち合わせを行い、プロジェクト運営会議への出席を依頼した。インキュベーターを供与。
1~4 日 2006 年 6 月よりルワンダにて実施されている「ブゲセラ郡持続的農業・農村開発計画調査」の改良乳牛導入事業に対する運営指導調査のため、農業省アドバイザーである多田専門員に随行し、柏崎長期専門家がルワンダへ出張した。ブゲセラ郡ンタラマ・セクターにおいて One Cow One Family プロジェクトのサイトを視察。また併せて、人糞利用によるバイオガス施設を見学させていただいた。
9 日 第 3 回 Steering Committee 会議および、第 2 回 Joint Coordinating Committee 会議をエンテベの農業省内にて開催。
21~22 日 アフリカ開発銀行が実施している家畜生産改善プロジェクトの供与機材である冷凍冷蔵庫を、クミ獣医事務所へ運搬した。これでクミ獣医事務所に診断用の製剤を供給することができるようになる。22 日は、村落開発隊員 7 人がムバレの小学校で実施した衛生キャラバンを見学した。
23 日 昨年に引き続き、協力隊短期派遣隊員 4 人がウガンダに到着。今年は全員がプロジェクトの支援機関である日大生物資源科学部からで、大学院博士課程 2 年生 3 人と 3 年生がひとり。ブルセラ、結核に加え、トリパノゾーマ症、牛肺疫、乳房炎、等についても調査を実施する予定。写真は左から越後谷くん、近藤くん、加藤さん、戸田くん。
28 日
持参する消耗品類の仕分けをする 4 人 (エンテベのラボにて)
短期隊員 4 人が任地へ赴任した。「下町の若旦那」近藤くんはキボガ、「田舎の好青年」戸田くんはムピジ、「元ヨコハマのコギャル」加藤さんはムバレ、そして「俺は青森のプレスリー」越後谷くんはクミである。筆者はムバレ+クミへと同行したが、特にクミは水なし、電気なし、貧弱なスタッフという三重苦を背負っており、送り込んでおきながらかわいそうになった。各人が困難な状況を克服し、楽しんで活動してくれることを願うばかりである。帰路、河地隊員が働く小学校に寄り、牛に駆虫薬を接種した。
31 日 ~
8 月 1 日
      医療機器整備の長期隊員である吉野くん (ムピジ県ゴンベ病院勤務) と共にキルフラのカゾへ出張した。目的はプロパン・ガスで稼働する冷蔵庫を運ぶことと、ソーラー・システムをチェックすること。特に後者のために吉野くんに同行をお願いした。ウガンダ人技術者の提言はチャージャーを交換し、バッテリーとソーラーパネルを増やす、つまりインバーター以外、全て改善しろということ。この程度のことは素人でも考えつく策だ。吉野くんの意見は、インバーター、チャージャー、バッテリーは問題はない。結局のところ、冷蔵庫を動かすのに十分な電気が作られていないことが原因であるため、ソーラーパネルを増やす必要がある、ということであった。吉野くんに言われると説得力がある。
      翌朝、ムピジに寄って戸田くんの様子を見たあと、エンテベまで足を運んでもらい、故障している機材をいくつか点検してもらった。
8 月
2 日 日大生物資源科学部から獣医細菌学の短期専門家、鎌田教授が赴任された。これから約 4 週間、エンテベのラボをベースに細菌学の実習を担当していただき、一般的な分離・同定法の基礎的な技術を中心に指導をされる。また短期隊員の活動とリンクする形で、乳房炎やブルセラ病についてもご指導を仰ぐ。---> 詳細を読む
5 日
左から農家の兄ちゃん、村落隊員の龍くん (その奥が山口くん)、カリロ県獣医官の Dr. オケロ
カリロ県には理数科 1 名、村落 3 名、計 4 名の長期隊員が配属されている。そのひとり、村落隊員である山口くんから、「自分の後任には家畜飼育隊員をと考えているので、一度カリロの獣医官と話をしに来てもらえないか?」との要請を受け、柏崎長期専門家がその重い体を引きずって日帰り出張した。カリロは新しい県であるためにウガンダ側のスタッフが少なく、隊員は苦労しているようだ。ここでは養豚がちょっとしたブームになっているそうで、家畜飼育による収入増を期待する農民は多い。
11 日 短期隊員、近藤くんの様子を見がてらブルセラの材料を集めにキボガへ出かけた。昨年同様にモーゼスが採血担当。こういう状況では尻尾から採った方が絶対に簡単だと思うのだが、慣れていないせいだろうか頚静脈からの採血スタイルを崩さなかった。若いロバートは乳房炎のテストを担当。専用のプレートに乳を搾ってきては試薬液を注ぎ、プレートを左右に揺すっている。あっという間に黄色い試薬が紫色に変わる。---> 詳細を読む
14 日
エンテベ動物園にて、畜産セミナーの参加者たち
11日から13日にかけ、マラウイの協力隊員 5 名、ザンビアの隊員 4 名+専門家 1 名、ウガンダの隊員 3 名を対象にネリカ米の広域研修が開かれた。その最終日をお借りして、"おかず"としての畜産セミナーを開催。養鶏を松井隊員、養豚を柏崎専門家、小型反芻獣 (羊・山羊) を多田専門員が担当した。午後の空いた時間にはエンテベ野生生物教育センター (いわゆるエンテベ動物園) を訪問し、環境教育の隊員として活動している北林さんに案内していただいた。
16~17 日 ムバレ獣医事務所長 Dr. ウェレの要請を受け、ジンジャ県ブドンド郡において農家を対象に養豚のセミナーを開催した。参加者は 35 名。そのほとんどが養豚を始めて間もない農家だ。講師は Dr. ウェレの他に 2 人。内容はマネジメント、豚舎の構造、飼料、衛生、マーケティング、などなど多岐にわたり、実践的かつ実用的であった。参加者が熱心にノートを取る姿が印象に残った。2 日目の午後には実際に近隣の養豚農家を視察した。---> 詳細を読む
18 日
小動物病院にて。
獣医細菌学の鎌田短期専門家および、短期協力隊員として活動中の日大大学院生 4 人がマケレレ大学獣医学部を訪問した。副学長の Dr. ムワジの案内で分子生物、鳥インフルエンザ、病理の各研究室と、小動物クリニックを見学。特に目を引いたのはアメリカの全面的支援によって整備された鳥インフルエンザのラボである。機材はもとより内装や備品に至るまで欧米に引けを取らないほどに整備されていたが、ラボが実際に活用されているようには見えなかった。
19~21 日
運動性検査の説明をされる鎌田短期専門家 (左から 3 人目)
第二回 JICA セミナーを開催。今回は "細菌と細菌病" に焦点を当て、短期専門家の鎌田先生がほとんどのプレゼンと実習を担当してくださった。参加者は 4 カ所の獣医事務所 (ムバレ、キボガ、ムピジ、キルフラ) から 2 名ずつで計 8 名。内容は、細菌一般についての講義と、主として事務所において実用可能な細菌の各種染色法や運動性検査、細菌数測定、などである。講義、実習共に参加者は熱心にかかわっていた。彼らのカウンターパートである短期隊員 4 名も参加し、実習の手助けを行った。---> 詳細を読む
25 日 短期隊員の戸田くんにつき合って、新しいオートクレーブをムピジの事務所へ運搬。
30 日 鎌田短期専門家が 4 週間にわたる技術指導を終え、帰国の途につく。
31 日 ~
9 月 3 日
柏崎長期専門家が東部へ出張し、クミの越後谷くん、ムバレの加藤さんの活動を視察した。クミでは小農家を一軒ずつ訪ねての採材、ムバレでは学校や広場で行う地区ごとの採材であった。どちらでも農家は協力的であったが、採材の趣旨を理解しているのかと問われれば、クエスチョン・マークが頭に浮ぶ。我々が、きちんと説明責任を果たしていないことがその主原因であろうが、農家の疾病に対する知識の乏しさに起因する部分もあると思われる。---> 詳細を読む (クミムバレ)
9 月
6 日 キボガで活動していた短期隊員、近藤くんが一足早く帰国した。博士課程 3 年生の近藤くんはドクターコースの終了を来年 3 月に控え、研究成果を発表するため 1 週間後にクロアチアで開かれる学会へ参加することになっている。それゆえ当初から 1 ヶ月半の予定での赴任であった。キボガのスタッフとうまく連携し、ラボの機能改善に貢献してくれた。空港へはムピジで活動中の戸田くんと筆者が見送りに駆けつけた。
8 日 先週末にブソガ族 (ウガンダに残る部族のひとつ) の王様が亡くなり 8 日が祭日になったが、ムピジではサンプリングに出かける予定を変更しないとのことだったので、柏崎長期専門家が活動の視察に出かけた。戸田くんにとって最後のサンプリングは、タウン周辺の農家になった。戸田くんのカウンターパート、ムソケは、ウガンダ人にはめずらしく精力的なスタッフであり、戸田隊員はあれやこれやとこき使われていた。夜 10 時近くまで検査を続けたことがあるらしい。
12~13 日 短期隊員、越後谷くんと加藤さんの県獣医事務所における活動が終わりを迎えるため、柏崎長期専門家が東部へ迎えに出かけた。13 日朝、ムバレ県隣のシロンコ県において、アフリカ豚コレラと疑われる疾病の発生があるとの知らせを受け、県のフィールド・アシスタントと共にサンプリングに出かけた。当日の朝、死んだばかりの豚を解剖し、組織病理およびウイルス分離用の材料を採った。発生地の農家では約半数の豚が死に、県は豚の移動を禁止した。
20 日 2 ヶ月間の活動を終え、日大獣医からの短期隊員 3 名が帰国の途についた。それぞれ環境の異なる県事務所に配属され、最善を尽くしてプロジェクト活動の一翼を担ってくれた。各事務所スタッフの反応も良好で、このような短期隊員の派遣を今後も続けて欲しいという声をよく耳にした。実際、どの事務所でも診断に対する興味が徐々にではあるが育ってきたように感じる。プロジェクト終了までにあともう一度くらい隊員を受け入れられるであろうか。
23 日 7 月末、医療機器整備の長期隊員である吉野くんと共にキルフラ県のカゾに出張し、ソーラーシステムのチェックをしてもらった。その時の助言をもとに、ソーラーパネルを倍に増やすことに決め、75-ワット パネル 4 枚を車に積み込み、エンジニアのベンと一緒にキルフラへ出張した。ベンは炎天下の屋根に登り、約 4 時間に渡ってパネルの設置に精を出してくれた。これで十分量の電気が確保できれば良いのであるが、、、
26 日 ~
10月 31日
柏崎長期専門家、休暇一時帰国のためプロジェクトを離れる。ホームページのアップデートは日本で行う予定。

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